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カテゴリー:Music

2018/05/21

エレクトリック・マイルス期の名リズムギタリストだったレジー・ルーカスが亡くなりました。

2018年5月19日にレジー・ルーカスが亡くなりました。

エレクトリック・マイルス期のギタリスト達

先日の19日にエレクトリック・マイルス期のマイルス・デイヴィス・バンドで主にリズムギターを担当していたギタリストのレジー・ルーカスが亡くなりました。

 

1972年辺りから、マイルスが活動休止する前の1975年の間にピート・コージーと共に在籍していた名ギタリストです。

 

この時期のマイルスは、スライ・ストーンやジミヘンの衝撃から影響を受けて、よりロックやファンクを中心とした音楽性に変化していました。

 

特にジミヘンの影響が大きかったようで、それまではマイルスのバンドにジャズギタリストが参加することはなかったのですが、この時期から取っ替え引っ替え様々なギタリストを起用しています。

 

 

 

まずはジョージ・ベンソンに始まり、ジョン・マクラフリンなんかがそうです。

 

ジョン・マクラフリンには、「初めてギターを弾いた奴みたいに弾け!」とかいう無茶ぶりをしてみたり。

 

スライの”Sing A Simple Song”のようなギターリフを弾かせてみたり、なかなかのわがまま帝王っぷりを発揮していたようです。

 

まぁでもあのマイルスを前にして、音楽に関することで反論できる人間なんてまずいないでしょうからね。

 

僕も、もしマイルスを目の前にすることがあれば、憧れと共に恐れ多くてビビってしまってまともに目を合わせて会話も出来くなるでしょう。

 

それぐらい「音楽好き」にとって偉大な存在であることに間違いはないでしょう!(これに関しては異論認めません!笑)

 

さて、そんなマイルスバンドにレジー・ルーカスとピート・コージーが加入する前にも、マイルスはベンソンやジョー・ベック、驚くところではコーネル・デュプリーなんかも起用してレコーディングをしていました。

 

ちなみにジム・ホールにも声が掛かっていたことを生前のジムがインタビューで答えていました。

 

確かたまたまお互いの時期が合わずに共演にいたらなかったみたいなのですが、もし実現していたらすごく面白い音楽が創造されていたのでは⁉と考えてしまいます。

 

 

レジー・ルーカスとピート・コージーの参加

1972年の名盤『On The Corner』からレジー・ルーカスはマイルスバンドに参加しています。

 

 

この時期のレジー・ルーカス参加のライヴ盤では、公式盤では全編ドラム/パーカッションの打楽器以外ワウだらけの(笑)『Live At Philharmonic Hall 』なんかで聴けます。

 

 

そしてオフィシャル・ブートレッグ(なのかな?)では『Live – Paul’s Mall, Boston MA September 14th 1972』なんかもお勧めです。

 

 

こういったライヴ盤を聴いてもらえばわかる通り、レジー・ルーカスはワウカッティングの達人で、どちらかというとリードギタリストではなく、リズムギタリストです。

 

また逆にリードギターが得意なピート・コージーの方は、その後1973年の4月辺りからマイルスバンドに参加しています。

 

ちなみにこの頃は、フュージョン/クロスオーバー系のエレピ奏者のロニー・リストン・スミスまでマイルスバンドに参加していたのは驚きです!

 

 

 

 

ピート・コージーは、ジミヘンから影響を受けたマイルスとは逆で、実はジミヘンに影響を与えた側の人間です。

 

なんと、ジミヘンはピート・コージーの追っかけまでして彼のギター演奏を聴きに行っていたぐらいです!

 

そんなマイルスバンドに最強のギタリスト2名が参加して1973年に日本で来日公演を行っています。

 

その様子はこのオフィシャル・ブートレッグ(なのかな?)『Tokyo 1973』で聴けます。

 

 

 

 

この時のライヴ盤では、ワウだけでなくギターにコーラスエフェクターも掛かっているように聴こえます!?

 

そしてその後、あの超絶名盤である伝説の大阪公演を収めた『Agharta』と『Pangaea』に繋がっていきます。

 

 

他には『Agharta』と『Pangaea 』よりも10日ほど前の1975年1月22日の東京公演を収めたオフィシャル・ブートレッグ(なのかな?)の『Live in Tokyo 1975』こと通称『Another Unity』もお勧めです。

 

 

 

 

なぜこちらは公式発売されなかったのか?

 

不思議なくらい素晴らしい演奏です!

 

また変わったところでは、レジー・ルーカスとピート・コージー以外にも3人目のギタリストであるドミニク・ガモーが参加しているアルバムが公式盤でリリースされています。

 

それが1974年の『Dark Magus』です。

 

 

 

 

…と、まぁこんな感じで多数のアルバムでレジー・ルーカスとピート・コージーの名演を聴くことが出来ます。

 




 

影響を受けたピッキングスタイルとワウギターカッティング

 

さて、ここまでがエレクトリック・マイルス期の参加ギタリスト達の簡単なご紹介でした。

 

ここからは僕がレジー・ルーカスに影響を受けたお話です。

 

かれこれ13年以上前にまだ20代半ばの頃にブルースバンドをやっていた時の話です。

 

当時は既にエレクトリック・マイルスを何年も前から聴いていて、『On The Corner』はすごく好きなアルバムのひとつでした。

 

普段からよく聴いていました。

 

当時の僕はジミー・ペイジみたいな押し付ける感じのピッキングスタイルでギターを弾いていました。

 

もちろんジミー・ペイジは素晴らしいギタリストですので、全く間違いではないですよ。

 

でもファンク系のグルーヴを出すには、ああいったピッキングではノリが出なかったんです。

 

ギターの弾き方ってジャンルに拠るんですよね。

 

ロックをやるんだったら、ジミー・ペイジみたいなピッキングスタイルの方がよりかっこよく弾けるはずです。

 

ブルースバンドをやっていた頃のそんなある日、バンド仲間の9歳上のリードギタリストの家に行ってギターを教えてもらっていました。

 

そして休憩中にPCで、まだ黎明期だった頃のYouTubeでエレクトリック・マイルス・バンドのライヴ映像を観ていました。

 

その時に映ったリズムギタリストのレジー・ルーカスの弾き方が気になりました。

 

それまでは逆アングルのピッキングを知らなかったんです。

 

レジー・ルーカスの逆アングルのピッキングを観てすごく弾きにくそうだな?って最初は思いました。

 

すると9歳上のリードギタリストが、「お前もこういう弾き方に変えたら?そんなジミー・ペイジみたいな弾き方じゃーグルーヴは出せないぞ!」みたいに言われました。

 

ブルースバンドをやってはいたのですが、実は2人とも大のファンク好きでした。

 

その頃の僕の悩みは、16ビートのカッティングが苦手なことでした。

 

しかもすぐに弦を切ってしまっていました。

 

その原因はやはり、ピッキングの問題でした。

 

弦を押し付けるようにピッキングしているのだから、タイミングが合わずにハシッたリズムになってしまいます。

 

また力んだ演奏になるのでノリも出ないし、ピッキングの力が強すぎて弦もすぐに切れてしまいます。

 

その時にたまたま見たレジー・ルーカスの映像と、リードギタリストのアドバイス(半ばダメ出し?笑)のお陰でピッキングの仕方を直すことにしました。

 

最初の頃は何年も順アングルで弾いていたので、なかなか慣れなかったです。

 

弦こそ切れなくはなったものの、すぐにピックを落としてしまってました。

 

それから後にブルースバンド解散後に、別のR&Bソウル系のバンドをやっていたのですが、その時のシンガーに「そんな変なピックのにぎり方してたらカッティングなんて出来ないんじゃない?直したら?」みたいに言われたのも覚えています。

 

しかしその人は単に逆アングルでグルーヴィーに弾く黒人ファンク系ギタリストを知らないだけなんです。

 

僕には、はっきりと目標は決まっていました!

 

そのシンガーの言う様なのっぺりしたリズムカッティングを目指しているんじゃなくって、レジー・ルーカスのようなグルーヴィーなドス黒いファンクギターを弾くことです!

 

それからも諦めずにずっと逆アングルのカッティングの練習をやり続けました!

 

 

そして何年か経った頃に、すっかり逆アングルのピッキングになっちゃいました!

 

今度は順アングルで弾けなくなってしまいました。

 

でも、それでいいんです。

 

弦も切れなくなりましたし、以前よりはグルーヴ出来るようにはなりました。

 

ピッキングのスタイルを変えたのは、僕にとってはレジー・ルーカスのお陰でした。

 

そんな影響を受けたレジー・ルーカスが亡くなったと知ってとても残念に思います。

 

ピッキングスタイル以外にもレジー・ルーカスから影響を受けたことでワウギターカッティングがあります。

 

僕もワウペダルを使うのが好きでよく使っています。

 

最近始めたファンクバンドでもワウを使っています。

 

その際にワウギターでカッティングもするのですが、4月の初ライヴの様子を録音していたのですが、後で自分の演奏を聴いてみたらワウカッティングのリズムの取り方がまるでレジー・ルーカスみたいになっていました!(笑)

 

影響を受けたギタリストにやはり似るものなんですね。

 

 


 

 

さて、先にも書きましたが僕がレジー・ルーカスを始めて映像で観たのは、黎明期のYouTubeでした。

 

その当時にエレクトリック・マイルス・バンドのどのライヴ映像を観て影響を受けたのかイマイチ記憶が曖昧なのですが、おそらくは1973年頃の映像だったと思います。(当時のYouTubeは今みたいに高画質じゃなかったですからね。小さい画面に遅い通信速度。)

 

確か1973年辺りのライヴ映像だったと思います。

 

何度観てもかっこいい映像です!

 

アル・フォスターのバシャバシャ♪ドラムに、マイケル・ヘンダーソンの動きまくるファンクベースに、エムトゥーメのリズミカルなパーカッション、そして下を向いてワウトランペットを吹きまくる御大マイルス・デイヴィス!

 

かっこよすぎます!

 

デイヴ・リーブマンのソプラノ/テナーサックスやフルート。

 

画面向かって左側で座っている巨漢のアフロマンがピート・コージーです!

 

奇抜すぎるアドリヴギターソロは、もはや芸術の域です!

 

上手すぎます!

 

そして最後に画面右端で、パーカッションのエムトゥーメよりも端っこに位置しているのがレジー・ルーカスです。

 

見た目こそ地味で存在感が薄いのですが、この頃のマイルスバンドのリズムを引っ張っていってるのは確実にレジー・ルーカスのワウカッティングだと言っても過言ではありません!

 

とても粘っこいワウの音色なのにやたらキレッキレのこのカッティングがあったからこそ、エレクトリック・マイルス・バンドは世界最強のファンクバンドとして君臨することが出来たんじゃないでしょうか⁉

 

ファンク好きの僕が最も憧れるバンドの形態がこのエレクトリック・マイルス・バンドです。

 

 

 

以上が、僕が影響を受けた名リズムギタリストのレジー・ルーカスのご紹介でした。

 

ちなみにピート・コージーは、2012年に亡くなっています。

 

そしてレジー・ルーカスも19日に亡くなったことで、この時期のマイルス・バンドを支えた名ギタリストの2人がいなくなってしまったことを本当に寂しく思います。

 

しかし僕は一生、レジー・ルーカスの影響下でワウカッティングを弾いていくつもりです!

 

本当に素晴らしいファンク系のリズムギタリストだと思います。

 

 

 

 

オマケ

そんなレジー・ルーカスのワウカッティングが異様にかっこいいエレクトリック・マイルス・バンド期の未発表だった曲の”What They Do”がおすすめです!

 

ピート・コージーの出だしのギターソロも異様なテンションですね!

 

スタジオ録音とは思えないです。

 

ちなみにこの音源は、2012年に発売された『On The Corner』に当時の未発表音源を追加して発売されたCD6枚組ボックスセットの『Complete On the Corner Sessions』のDisc5の5曲目に収録されています。

 

 

 

 

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