
2023/04/14
世界初のパンク・ロック・バンドは黒人トリオだった!?ハックニー兄弟が結成したパンク・ロック・バンド『Death(デス)』を聴こう♪
世界初のパンク・ロック・バンド『Death(デス)』をご紹介します!
一般的なパンク・ロック・バンドのイメージとは!?
初めて洋楽パンク・ロック・バンドを聴くという方の多くは、セックス・ピストルズやラモーンズを「パンク・ロックの始まりのバンド」として出会うことが多いかと思います。
そのきっかけはグリーン・デイであったり、ピストルズの影響を受けたニルヴァーナだったり、そういった後発のバンドからセックス・ピストルズやラモーンズに辿り着く場合もあることでしょう。
また前回のブログ記事でご紹介していたザ・ストゥージズやMC5といった「パンク・ロックに影響を与えた始祖」といえるガレージ・ロック・バンドから先に進んでセックス・ピストルズやラモーンズに辿り着く逆のパターンもあることでしょう。
そういったことから多くの人がセックス・ピストルズやラモーンズが「世界で最初のパンク・ロック・バンド」だというイメージを抱いているのではないかと思われます。
そうなってくるとセックス・ピストルズがお好きな方でしたら「パンク・ロックはロンドン発祥!?」というイメージを持っていたり、ラモーンズがお好きな方だったら「パンク・ロックはニューヨーク発祥!?」というイメージを持つことでしょう。
また、どちらも白人の若者が主体のバンドだったため「パンク・ロック・バンドは白人が始めた!」と思うことでしょう。
しかしそれらのどれもが違っていたら!?
今回はそんな歴史の闇に埋もれてしまった「世界初のパンク・ロック・バンド」と称された幻のバンド『Death(デス)』をご紹介します!
世界初のパンク・ロック・バンドは、デトロイト出身の黒人トリオだった!
パンク・ロック・バンドの始まりは、ロンドン?それともニューヨーク?
白人の若者が過激な音楽を演奏したバンド?
こういったイメージは、セックス・ピストルズやラモーンズが世界的に有名になったため根付いたものでしょう。
例えばブルースで言うと、T-ボーン・ウォーカーが「モダン・ブルース・ギターの父」であると言われています。
それは「ブルース・ギターのソロ演奏は、マイナー・ペンタトニックだけで演奏できる」ということを発見したからと言われています。
T-ボーン・ウォーカー自身も「最初に発見したのは俺だ!」と豪語していたようですが、実は本当のところは誰が最初にやり出したのかはっきりとわかっていません。
ただ、T-ボーン・ウォーカーのレコードが大ヒットしたために「T-ボーン・ウォーカーが一番有名だから」ということでそうなりました。
最初に始めた人よりも、「最初に一番有名になった人」がその後のイメージを決定づけるのは仕方ないことだと言えます。
しかし出来ることであれば、「本当の意味で一番最初」にやった人を知りたいと思うのは、僕だけではないはずです。
そこで今回ご紹介するのは、セックス・ピストルズやラモーンズよりも先にパンク・ロック・バンドを結成していたデスというバンドです。
世界初のパンク・ロック・バンド『Death(デス)』とは?
パンク・ロック・バンドのデスは、米国ミシガン州デトロイト出身のハックニー兄弟という黒人3兄弟で結成されました。
兄のデイヴィッド・ハックニーを筆頭に、ボビー・ハックニーとデニス・ハックニーの3兄弟です。
彼らハックニー兄弟は、1962年に父親の影響で当時アメリカで大人気だったバラエティー番組『エド・サリヴァン・ショー』でビートルズが演奏するのを観て衝撃を受けました!
ビートルズでロックに目覚めた3人は、まず兄のデイヴィッドがギターを始めました。
そしてボビーがベース、デニスがドラムと続きます。
3人は兄弟でバンドを組むと、ポール・マッカートニーの影響からか、ボビーがべースを弾きながらリード・ボーカルも務めるようになります。
しかし初期の頃は、当時の黒人の若者がそうしたように彼らもファンク・ロック・バンドとして活動していました。
1971年にハックニー兄弟の3人組は、”RockFire Funk Express(ロックファイアー・ファンク・エクスプレス)“として活動を始めました。
ロックファイアー・ファンク・エクスプレスとして1973年に”People Save the World”と”RockFire Funk Express”が収録された7インチ・シングル盤をリリースしています。
この音源は、2011年にリイシューもされました。
“People Save the World”は、どことなくグランド・ファンク・レイルロードを彷彿させるファンク・ロックの曲です。
しかしある2つの衝撃的な出来事がバンドをファンク・ロックからパンク・ロックに変えることになります。
ファンク・ロックからパンク・ロックに変わった衝撃的な2つの出来事
まず1つめが、ザ・フーとアリス・クーパーのライブをみたことがきっかけでした。
彼らの激しいステージを観たことで、ファンクよりもロックな方向性にハックニー兄弟の音楽性はシフトしました。
後にデスとなったバンドの音楽性を聴くと、ザ・フーやアリス・クーパーの影響が見え隠れしていたりします。
そしてもう1つの出来事が、ハックニー兄弟の父親が交通事故で亡くなったことでした。
父の死にショックを受けたデイヴィッドは、「死が内包するネガティブなイメージからポジティブなイメージに変えること」を願いバンド名を”Death(デス)“に変えることにしました。
そうしてファンク・バンドだたロックファイアー・ファンク・エクスプレスは、世界初のパンク・ロック・バンド、デスへと生まれ変わりました。
後にデイヴィッドは自分たちのことを「先見の明のあるバンドだった。」と語っています。
実際にはラモーンズも1974年に結成されているので、ラモーンズも「世界初のパンク・ロック・バンド」なのですが、デスはラモーンズの1stアルバム『Ramones(ラモーンズの激情)』に1年先駆けてデビュー・アルバムを制作しています。
知名度こそラモーンズの方が遙かに高いですが、1975年にデビュー・アルバムを先に制作したデスが「世界初のパンク・ロック・バンド」だと言っても間違いではないでしょう。
それでは再結成後も含めてデスのアルバムをご紹介します。
世界初のパンク・ロック・バンド『Death(デス)』の作品
Death – 『…For the Whole World to See』
1975年にデビュー作として録音されていた『…For the Whole World to See』です。
本来は12曲が当時のスタジオ・セションで制作されましたが、その中から7曲だけが収録された本作は、未発表のままお蔵入りとなりました。
その後、本作収録の “Politicians in My Eyes”の7インチ・シングル盤のコピーがマニアの仲間内で出回り、激レア盤として一時期は$800(およそ10万円以上)という高額取引がされていました。
2009年にデスが再結成した際に、ついに本作『…For the Whole World to See』はCDやレコード盤でリリースされることとなりました。
ちなみに本作収録時は、オリジナルのハックニー3兄弟で録音されていますが、2000年に肺癌を患ってデイヴィッドが他界したため、再結成後はボビー・ダンカンがデイヴィッドの代わりにギタリストとして加入しています。
本作ではすでに”Rock-N-Roll Victim”や “Politicians in My Eyes”といった楽曲で、ラモーンズでお馴染みの「1,2,3,4!」と叫ぶイントロの掛け声が登場しています。
1曲目の”Keep On Knocking”こそグランド・ファンク・レイルロードっぽいハード・ロックな楽曲ですが、”Freakin Out”や”Where Do We Go from Here???”に”Politicians in My Eyes”の3曲はまさにパンク・ロックです!
この3曲は、ベーシストでリード・シンガーでもあるボビーが1人で書いた曲です。
どうやらパンク・ロックの生み親はボビー・ハックニーだと言ってしまっても良さそうですね。
セックス・ピストルズやラモーンズのようなキャッチーさはありませんが、むしろこちらの方が同郷のストゥージズやMC5といったデトロイト・ガレージ・ロックの正統派の後継者として「真のパンク・ロック」と言うべき楽曲でしょう。
“death(死)“という過激なバンド名を変更しなかったことでコロンビア・レコードのクライヴ・デイヴィスの怒りを買いお蔵入りとなったアルバムでしたが、もしこのアルバムがリアルタイムでリリースされていたとしたら…パンク・ロックの歴史が少し変わっていたかもしれませんね⁉
もしかしたらカート・コバーンの音楽性も少しだけ変わっていたかもしれません⁉
決してクオリティの低いアルバムではありませんので、ぜひパンク・ロック好きの方は「ルーツを聴く」という心構えで聴いてみてはいかがでしょうか?
Death – 『Spiritual • Mental • Physical』
2011年にリリースされた『Spiritual • Mental • Physical』は、1974年~1976年の間に録音された楽曲をまとめたコンピレーション・アルバムです。
デモ音源や自宅でのリハーサル音源など、録音状態も演奏も荒々しいものばかりが収録されています。
デイヴィッドの弾くクリーンな音色のギターが美しい”David’s Dream”や、ボビーのベース1人演奏を録音した”Bobby Bassing It”に、デニスのドラム練習の風景を録音した”Dannis on the Motor City Drums”といったプライベートな音源も収録されています。
真っ先に聴くべき音源ではありませんが…『…For the Whole World to See』を聴いてデスというバンドが気に入った方はどうぞ!
Death – 『III』
『III』は、1975年から1992年の間に録音された音源を集めて2014年にリリースされたコンピレーション・アルバムです。
2009年の再結成後、新たなラインナップでの新作が待たれる中、先にこちらがリリースとなりました。
亡き兄デイヴィッドのフェイザーを効かせたギター演奏を録音した1曲目”Introduction By David”で始まる本作は、デイヴィッド在籍時のデスに終止符を打つ作品のように感じられます。
アルバムのジャケットはなんだかプログレ・バンドみたいな幾何学模様ですが、このデザインを選んだのもなんとなく納得いく音源ばかり収録されています。
色んな時期の音源が収録されているだけあって、音楽性のバラツキもあり、『…For the Whole World to See』に収録されている世界初のパンク・ロック・バンドのデスを期待して聴くと痛い目にあいます。
もはやパンク・ロックな曲はほぼほぼ収録されていません。
あまりおすすめ出来ませんが、デスの作品を全て聴いてみたいという方はトライしてみて下さい。
Death – 『N.E.W.』
2015年にようやくリリースされたボビー・ダンカン加入後初となる新作です。
2012年にオンライン販売のみでリリースされていたシングル曲”Relief”を含む再結成後の本作は、新加入のボビー・ダンカンのギターも荒くれており、期待通りのパンク・ロック・アルバムに仕上がっています!
メインのソングライターはボビー・ハックニーですが、本作収録の3曲目”Story Of The World”と6曲目”At The Station”は、兄デイヴィッドとボビーの共作曲です。
また新加入のボビー・ダンカンも”Relief”のソングライトに参加していたり、”Playtime”と”Who Am I?”と”Ressurrection”の3曲を単独で書いています。
新生デスの今後のアルバムがリリースされることがあるのかどうかは今のところわかりませんが、これが最後のアルバムとならないことを期待したいですね。
以上、【世界初のパンク・ロック・バンドは黒人トリオだった!?ハックニー兄弟が結成したパンク・ロック・バンド『Death(デス)』を聴こう♪】でした。
ちなみに『Death(デス)』という名称で活動しているバンドは世界中にいくつかいますが、一番有名なのは「デス・メタルの父」と称されたチャック・シュルディナーが在籍していたデス・メタル・バンドのデスなのですが、こちらのデスも「パンク・ロック・バンドの父」と呼んでも過言ではない重要なバンドです。
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