
2019/07/11
ニューヨーク公共図書館を舞台にしたドキュメンタリー映画『エクス・リブリス』を観てきました
ニューヨーク公共図書館を舞台にしたドキュメンタリー映画『エクス・リブリス』を観てきました。
そこは単なる書庫ではなく「人と人とを結ぶ場所」
以前、このブログでもご紹介していましたニューヨーク公共図書館を舞台にしたドキュメンタリー映画『エクス・リブリス』を観てきました。
映画を観た感想を書いてみたいと思います。
長編映画『エクス・リブリス』を観た感想
さて、上映時間は3時間25分にも及ぶ長編映画『エクス・リブリス』なのですが、およそ1時間半ほど観た頃にスクリーンが暗転し10分ほどの休憩時間が設けられていました。
さすがに3時間通して一気に観るのはしんどいのでこの休憩時間が助かりました。
しかしもしこれが実際にNYに向かう13時間のフライト中に観れたとしたら、逆にちょうど良い長さの映画に感じることでしょう。
時間の感じ方って不思議ですよね。(笑)
さて、映画の方なのですが「誰か特定の語り手」がいてそのナレーションを元に進むという形ではなく、この図書館を舞台に講演会をしている様子だったり、図書館の運営責任者たちの予算会議の様子だったり、地域住民たちとの会議の様子だったりを淡々と流していってる作りです。
そのためナレーションを聞いて物語を理解するというのではなく、観ている一人一人が自分自身でこの映画の物語を感じ取るのが一番良いのではないのかな?と思います。
予算会議や地域住民とのやり取りなどは出演者の一人一人の声が聞くことが出来るのですが、しかしコンベアから流れてくる本を仕分けするいわゆる「流れ作業」をしている労働者の場面では一切台詞がなかったのも印象的です。
彼らは一言も台詞がありませんでした。
もしかするとあえて無言の「流れ作業」場面を挟んでいたのかもしれません。
しかしこの映画を観て感じられたのが「図書館」は単なる「書庫」ではなく「人と人との繋がりを結ぶ場所」だということでした。
序盤に図書館の改修工事に当たって、建築関係を担当するオランダ人女性が出てくるのですが、彼女が単なる「書庫」ではないと語っています。
また様々な場面で図書館を『ハブ(”hub”=〔活動などにおいて〕中心的な地点)』として地域住民が繋がっていることが感じられました。
途中図書館のボランティア団体の方々(かな?)の会議の様子が出ていたのですが、そこで会議を仕切るアジア系の女性が”engaged”という単語を何度も使っていました。
これは「積極的に参加する」という意味を持った単語なのですが、図書館の従業員だけでなく地域住民一人一人が参加することも重要だと言っているかのようでした。
この図書館は半分が市民からの税金で成り立っています。
彼ら一人一人の力によってこの図書館が成り立っていることが感じられます。
もちろん地域住民だけでなく、この図書館に訪れる様々な人々も重要なんだと思います。
アンディー・ウォホールを始め様々な芸術家もこの図書館の資料を参考に作品を制作していったようです。
映画ではその中のいくつかの版画作品を紹介していました。
その中にドイツのルネサンス期の画家アルブレヒト・デューラーの『サイ』を描いた版画が登場していました。
この絵が描かれた1515年頃は、まだ一般にはサイという動物は珍しく、デューラーは言い伝えだけで想像して絵を描いていたようです。
それでもさすがのデューラーの画力は素晴らしく、想像だけで描いたとはとても
そのサイの絵を夫婦で売って回っていたようです。
他にも『夜警』で有名なオランダの画家レンブラントの自画像を描いた絵も紹介されていました。
レンブラントは生涯を通して約80作品にも及ぶ自画像を描いています。
絵画だけでなくウィリアム・S・バロウズやアレン・ギンズバーグなんかのビート詩人たちの貴重な詩集も映画内で一瞬登場していました。
60年代頃のアメリカン・ロック好きだとビートニクにハマりますよね。
僕もドアーズが好きだった大学時代には、ジム・モリソンの影響でジャック・ケルアックの『路上』を読みました。
ちなみにニルヴァーナのカート・コバーンもビートニクから大きな影響を受けていて、ウィリアム・S・バロウズとの共演シングル『The Priest They Called Him』をリリースしていたりします。
カートの弾くノイジーな「聖しこの夜」をバックにバロウズが詩を朗読する形です。
他にも映画にはエルヴィス・コステロやパティ・スミスも出演していました。
そのオランダ人女性が話していたように本を読む人だけでなく、芸術家や詩人に音楽家など様々な人たちがこの『ニューヨーク公共図書館』と繋がっています。
そこは単なる「書庫」ではなく主役は調べ物をする「人」たちそのものなんですね。
NYと言えば「人種のるつぼ」として有名なのですが映画内には、白人や黒人だけでなくアジア系の人々やイスラム系、ユダヤ系の人々など様々な人種が登場します。
また有名人だけでなく一般の人々、障害を持った人々(NY州の人口800万人のうち11%に当たる90万人の方々が障害を持っているようです。)、更にはNY市民だけでなく僕らのような他の国から訪れた旅行者など……本当に老若男女様々な人間がこの場所をハブとして繋がっているんです。
ちなみに僕自身はミッドタウン5番街41丁目に位置するこの図書館(エンパイアステート・ビルのすぐ近くです。)の近くを何度か通ったことはあるのですが中に入ったことはなかったです。
映画を観て次回NY旅行の際はこの図書館に入館してみたいと思いました。
また一つNYでやり残したことリストが追加されました。
ところで映画の序盤の方で、ユダヤ系の人が自身のルーツを調べた結果をスピーチしているシーンがあったのですが、そこでデリ(ユダヤ系の人が経営していることの多いNYの総菜店)についてのちょっとしたジョーク話がありました。
NYCは別名『ビッグ・アップル』と呼ばれています。
これは1920年代NYのスポーツライターのジョン・J・フィッツ・ジェラルドが、この町のことを『ビッグ・アップル』と呼んだことがきっかけでこの市のニックネームになりました。
それにかけてこの映画で「でもNYに来て最初に食べたいのはリンゴではなくパストラミサンドですよね。」と言ってるシーンがあました。
その台詞を聞いて自分の過去を思い出したのですが……
思えば11年前に僕が初めてNYに行った際に一番最初にデリで注文したのはパストラミサンドでした。
その時に食べたパストラミサンドの写真が残っていたので掲載しておきます。

当時はまだスマホもなく、古い携帯電話の写メで撮った写真なので画質は悪いのですが……今でもこの時に食べたパストラミサンドの味を覚えています。
この時に食べたパストラミサンドの味に僕の中でのNYのイメージが詰まっていました。
人生初めてのNYの町に着き、とりあえずお腹が空いたので近くにあったデリを見つけて入りました。
僕がNYCで初めて自分ひとりの力で店に入って注文したのがこのパストラミサンドでした。
ちなみにこの時初めてルートビアを飲みました。
ルートビアじたいはドクター・ペッパーやマウンテン・デューと同じく日本でも買えるのですが、実は僕はそれまでに日本でルートビアを飲んだことなかったんです。
人生初めてのルートビアのお味は「なんだこれ?マズッ!」でした。(笑)
あまりのマズさに途中でごみ箱に捨てました。
次の日にグリニッチヴィレッジに行った際に公園のベンチで休憩していたのですが、向かい側に白人のおばあちゃんが座っていて、ニコニコ笑顔で美味しそうにルートビアを飲んでるのを見て驚きました!
「日本だともはや緑茶しか飲まなくなった年頃のおばあちゃんが、あんなマズい飲み物を飲むなんて……やっぱアメリカはスゲーな!」と感じた20代の頃でした。(笑)
ちなみにそんな僕も今ではルートビアが好きになりました。(笑)
閑話休題、話を映画に戻しましょう。
映画では「ショーンバーグ黒人文化研究センター」なども登場して人種問題にも触れられています。
アメリカの大手の教科書には、「黒人たちの先祖がアメリカ大陸に新たな仕事を求めてたどり着いた」と嘘の記載がされているようです。
その割りには、ヨーロッパからやってきた年季奉公人たちは、安い賃金で奴隷のように扱われたと記載されています。
ご存じの通り真実は、黒人たちは白人の奴隷として無理やりこの地に連れてこられたというものです。
しかし彼ら黒人の先祖たちへの酷い人種差別を隠蔽し、ヨーロッパの年季奉公人たちの努力で国が開拓されていったと嘘を教えているようです。
もちろんこのことについて大人の黒人たちが「この図書館を通して黒人の子供たちは真実を学ぶべきだ!」と話していました。
こういったところでも図書館は単なる「書庫」ではなく、黒人たちの歴史やコミュニティーを守る「ハブ」として役立っているようです。
ちなみに別のシーンで、黒人の人のスピーチで「80代のある女性が、この図書館で働くことで生活が成り立っている。」と話していました。
ここの台詞は英語で”Keep on keeping on”と言っていたのですが、音楽好きの僕はすぐにカーティス・メイフィールドを思い出しました。(笑)
『エクス・リブリス』は、図書館を舞台にした単なるドキュメンタリー映画というだけでなく、美術や音楽に文学など様々な芸術や人と人とが織りなす関係性にアメリカの歴史などが入り組んだ深い物語でした。
映画に明確な語り手がいない分、観る人それぞれが「自分の考え」を持って鑑賞できる素晴らしい映画ですね♪
まだ観ていない方はぜひこの機会に観に行ってはいかがでしょうか。